次郎坊伝 21 氣賀宿

文聞亭笑一

ここのところ手抜きばかりですが・・・私的歴史興味とそぐわないストーリー展開で、何を書いて良いものやら混乱しております(笑)

今週は氣賀(きが/けが)宿で直虎と「泥棒の頭」が再会する場面です。

氣賀・・・あまり知られていない地名なので調べてみました。東海道の脇往還、姫街道の宿場町ですね。ここに関所ができ、宿場町として整備されるのは江戸幕府創設後ですが、それ以前、家康が本拠を岡崎から浜松に移したあたりから、戦略的要衝の地として重要視していたようです。

浜名湖周辺の江戸期の地図を添付してみました(from; Wikipedia)

東海道の本線は図の下の方、現在・新幹線が鉄橋を渡るあたりです。浜名湖が海に接していますから渡し場になっていました。この船便が気候によっては危険なので、若干遠回りになっても陸路を行くのが姫街道で、これが井伊家の領内を通ります。

図が小さくて読みにくいでしょうが・・・姫街道の真ん中・縦に黒い線が入っている右側に氣賀宿があります(赤枠内)。この辺りは丘陵地が多く、物資の移動には不便なので海岸沿いが本街道になったものと思われます。とりわけ古代以来、日本の街道は船便を多用します。防衛上の障壁のためと、物資輸送に舟を使う伝統から来ていると思われます。

現代感覚でいえば、東海道本線、新幹線が通過するのが東海道、東名高速道路が通過するのが姫街道、第二東名は井伊谷の北を走ります。

物語では氣賀宿に南蛮渡りの物資が溢れているように描きますが、南蛮物資が大量に流通するのは・・・もう少し後ではないでしょうか。信長が京都で政権を握り「貿易自由化」をやってからだと思います。が、それなりに唐渡り(中国産、九州産、京風)の品物が入ってきていたでしょう。信長が始めた楽市楽座の雰囲気が商業自由化の風を送り込んでいたでしょう。本来であれば龍潭寺の商圏、縄張りですが、直虎が方久を家臣に加えたということが、寺社の権威を排除して自由化を進めたことになったものと思われます。

一種の経済特区ですね。自由な街には、自由を求めて様々な人種が流れ込みます。当然、自由をはき違えた人種も集まります。混沌、混乱、困惑・・・様々な問題の坩堝(るつぼ)でもあります。

現代の都市問題にも似て、住民の自己主張と秩序維持との相克が展開されていたでしょう。

ウィキペディア 気賀宿より抜粋

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