柴田勢に耳寄りな情報が入ってきた。どうやら、秀吉の本隊が戦線を離れて移動を開始したらしいという。佐久間玄蕃はその隙を突いての奇襲攻撃を進言してきた。

「またまた猿の誘いの手ではないか。あやつの猿芝居などには付き合えぬ。

討って出てはならぬぞ、玄蕃。猿の偽装の匂いがする」

勝家はあくまでも慎重である。少ない軍勢で大軍に勝つためには、敵を自分の有利な場所まで引き出さねばならない。兵の少なさを地の利で補おうというのが勝家の基本戦略だ。それに、数々の戦場を踏んできた経験から、戦場独特の―――勘が働くのだ。

「しかし伯父上、今浜城から脱走してきた者の言うには、行き先は岐阜だと申します。

信孝殿が兵を出したとあらば、大垣城あたりで激戦となりましょう。二日や三日で戻れるわけはございませぬ。この機を逃しては、あたら勝利を逃しまするぞ」

玄蕃は机上の地図に並べられた駒を動かしながら力説する。彼の提案は全軍による決戦ではなく、秀吉が仕掛けた罠の、一つの辺を取り払ってしまおうというものだ。

羽柴の陣形は北国街道を挟んで山側と湖側に先陣を配している。その奥に秀吉の本陣がある。いわば鶴が羽を広げたような鶴翼陣で、本隊が鶴の頭と胴体になる。この、胴体にあたる部分がもぬけの殻だというのだから、翼の一翼をもぎ取ってしまおうというのが玄蕃の提案である。さらに、もし救援のためにもう一方の翼が動いたら、そのときこそ勝家本隊が乗り出しての決戦で、陣形の乱れた敵を討つのはたやすい。

玄蕃の作戦は戦術的には非の打ち所がないのだが、勝家の戦場勘が決断を鈍らせる。

「まあ待て、様子を見よう」


その頃、大岩山の砦では余呉の湖を見下ろしながら、中川瀬兵衛と中川淵之助が茶を喫していた。朝日が湖に反射してきらきらと光る。

「淵之助、わしは明日あたりの戦で死ぬる事に決めたぞ」

淡々として、他人事のような物言いである。

「死ぬとはまた弱気なお言葉でございますな。ましてや今日、明日、敵が攻めてくるわけでもございますまいに。敵陣に動きは見えませぬぞ」

「見よ、淵之助。猿の本隊が後方に移動していくではないか。大方、岐阜が動いたのであろう。柴田は動かぬと見て、岐阜を先に片付けるつもりであろうが、そうも筋書き通りには行くまい。岐阜殿は尻が青いが、柴田は戦巧者じゃ。

留守の間に、柴田勢が仕掛けてくると見た。それは、あの軍勢が戻れないところまで進軍した後であろうよ。今日は関が原、明日は大垣辺りであろうかのぉ。その留守を狙って、柴田は攻めてくる」

戦場往来にかけては瀬兵衛も、淵之助も、勝家には劣らない。三好、荒木、明智、羽柴と主は変えたが、戦場に立つ数では引けをとらない。戦の勘が働くのだ。

「来ますかな。しかし、死ぬとは穏やかではございませぬな」

「わしはな、猿の臣下でいるのには我慢がならぬのじゃ。氏素性も怪しき百姓の小倅が、多少の才があったにせよ、わしに向かって偉そうに命令してくるのには腹が立つ。

かといって、明智のように反旗を翻して死ぬのでは家名も残らぬ。秀政ばかりか家臣の者たちが困るだけじゃ。

そこでじゃ、ここでわしが忠義立てをして死ねば、茨木の城を取られることはあるまい。戦に勝てば、恩賞も期待できるかも知れぬ。わしは秀吉に頭を下げずに済み、秀政は加増を受けるとなれば、一石二鳥ではないか」

「なるほど。しかし羽柴が勝てばの話でござるな」

「ふむ。羽柴が負ければ、羽柴についた我が家も残るまい。残るにしても減封は間違いあるまいて。それにな、留守中に柴田が動けば、本陣の黒田から必ず<退け>の伝令が参る。

そういう作戦と見た」

「で、殿はそれに逆らって引かぬお覚悟でございますか」

「さっさと退けば、柴田も退くであろうよ。さすれば元の木阿弥じゃ。

柴田が攻めて来たらな、猿はきっと大返しに返してきて、決戦を仕掛ける覚悟じゃ。

ならば、誰かが敵を引き止めておかねばならぬ。それが、このわしの役目よ。

しかし、それにしてもじゃ、猿智恵であるな。柳の下の2匹目のドジョウを目論むとはな」

両軍の作戦展開を、これほど見事に読み取れるのは、死を覚悟した老練の武将だからであろうか。事実、その通りに戦いは進行するのである。

瀬兵衛が死を決意したのは秀吉が嫌いというだけではない。小六や庄右衛門などの行儀の悪さにも辟易としていたのだ。中川家は河内源氏の末裔を自称する。侍としての品位といおうか、後に武士道と称せられる精神文化を大切にしてきた。であるから、特に庄右衛門の乱破衆の暗躍のような武士にあるまじき策略には、腹が立って仕方ないのだ。

<わしの時代ではない>という諦めが、死ぬ気にさせたといえる。


秀吉が岐阜に向かった翌日である。今日も玄蕃が出陣を求めてきた。秀吉が関が原方面に移動したのは確実であるらしい。本陣の旗挿物は変わらないが、全く動きがない。

「ならば玄蕃、ここだけ攻撃し、落としたらすぐに引き上げよ。決して占領などするではないぞ。よいか、今日のうちに引き上げるのだぞ」

勝家の指差した辺りには、中川清秀(瀬兵衛)、高山右近など、摂津勢の陣が並んでいる。つまり、大岩山の砦と、その峰続きである。

「承知!」短く答えて、玄蕃は自らの配下の兵、五千に出陣を指令した。

攻撃は急を要する。敵の備えが整わぬうちに一気呵成に攻めて、砦を粉砕してしまうのだ。

玄蕃は余呉の湖の手前で軍を二つに分けた。一隊は弟に指揮を任せて中川の陣に向かわせ、自らは高山右近に攻めかかった。敵は山の上から鉄砲を撃ち下ろしてくる。佐久間軍は山裾から這い上がっていく形だから不利ではあるが、高山軍は鉄砲を撃ちかけるだけで斬り込んでは来ない。仰撃態勢に、どこか腰が引けている。じりじりと山頂に近づくと、すでに右近をはじめとする騎馬武者たちは引き上げた後だ。鉄砲を撃ちかけていた足軽たちが反対側の斜面へと一目散に逃げていく。

「追うな」

山頂から大岩山を見ると、こちらとは大分様子が違う。中川兵は必死に砦を守り、攻め手が攻撃をやめると、逆に押し返してくるから山裾から一歩も進むことが出来ずにいる。

玄蕃は弟の軍勢に加勢すべく山を降り、中川軍に挑みかかった。

「これは死兵ではないか」

玄蕃は一瞬たじろいだ。死を覚悟した兵は異常に強い。多数の兵士で取り囲み、突き立てるのだが、一歩も引かずに立ち向かってくるのである。こういう敵を相手にしては犠牲が大きくなる。<厄介なところを攻めてしまった>ちらりと反省がよぎる。

とそのとき、一発の弾丸が玄蕃の肩先をかすった。衝撃で落馬しそうになったが、この弾丸が玄蕃の理性を奪い去った。カッと頭に血が上った。

「押せぇ。一人残らず首にせよ」

玄蕃派自ら陣頭に立ち、逆らう敵を突き、斬り、阿修羅の如くに山を登っていく。中腹に差し掛かったとき、山上から騎馬武者が駆け下りてきて、玄蕃の旗本たちがなぎ倒された。槍を振り回し、突き、見事な手さばきである。しかも、手向かう者がいなくなると、さっと馬を帰して走り去る。これを二度繰り返されたが、三度目には佐久間兵の数が数倍に膨れ上がっていた。引き返すところを、馬を倒し、寄ってたかって突き伏せた。

「中川淵之助殿です」

首を挙げた武者が驚いたように声を上げた。淵之助は死を覚悟していたから、首に名札を下げていたのだ。

山頂でも激闘が続いていた、瀬兵衛を守る兵が十人ほどしか残っていないのに、この集団を倒せないでいる。「鉄砲を持て」誰かが叫んだ。

「待て、中川瀬兵衛殿に鉄砲で向かったとなっては、我が佐久間家の恥じゃ。

瀬兵衛殿とお見受けした。冥土へのご案内は佐久間玄蕃があい勤めまする。手出しするな」

互いに槍と槍の勝負だ。容易に勝負はつかないが、先ほどから戦い続けてきた老年の武将と、若い玄蕃では体力の消耗度が違う。玄蕃がようやく突き勝ち、首を手にするまでに、四半時ほど懸かったのではなかろうか。玄蕃も命がけの決闘でくたくたに疲れた。

大岩山から中川の兵が消えたとき、既に春の日は西の山に沈んで、宵の闇が訪れてきた。

勝利の余韻に浸る玄蕃は、今日の帰還を取りやめて、この場で首実験をし、明朝引き上げることにした。中川瀬兵衛との決闘が呼び起こした興奮が、この場を去りにくくしたのである。

首実検などは無用の作法だが、これとても<せねば失礼にあたる>と考えさせてしまう辺りに、中川主従の覚悟が伝わったのだ。

勝家からの度重なる帰還命令も、玄蕃には子守唄にしか聞こえない。