里帰りを終え、茨木城に向かった助作、加兵衛の兄弟は、久しぶりに中川秀政や森川宮内などの中川家家臣団と再会した。

茨城城の大手門まで出迎えに来た宮内などは、助作を抱きかかえんばかりの歓迎ぶりで、両手をとりあって再会を喜んだ。中川家の重臣は、中川淵之助を筆頭に、多数が大岩山の合戦で討ち死にしてしまっている。家老職で無事だったのは、茨木城の留守を任されていた森川宮内、ただ一人なのだ。

「片桐様、よくぞ参られた。今後のことを御相談したかったのじゃ。

御加増願ったのは名誉で、有難いが、如何にしたものか考えあぐねておったのじゃ。

ぜひとも、智恵をお貸しくだされ」

さもありなん。有能な侍は多数が討ち死にし、さもなくば、重傷を負って出仕できないでいる。そこへ、播州三木への転封である。見知らぬ土地である上に、3万石から13万石の大所帯を切りまわさねばならぬ。しかも、当主の秀政は元服して間もない若者なのである。4倍にも膨れ上がる領国経営をいかになすべきか、宮内が混乱しても当然である。

助作とて、どうしてよいのかは見当がつかぬ。加増された三千石ですら重たい。

が、浅井長政のやり方、赤尾美作、遠藤喜右衛門の人使いの手法は、見てきている。

それをまねるしかあるまい。

「それがしのような若輩には、領国経営や、陣立てのことは分かりかねますが…、浅井長政様のやり方なら、見おぼえたことをお話しできます。

それでよろしければお話しいたしましょう」

「それでよいぞ、それが知りたいのじゃ、片桐殿。教えてくれ、頼む」

上座から秀政が悲鳴のような声で叫んだ。父を失い、筆頭家老も失い、孤児同然のうえに十万石を越える大封を手にして、何をしてどうしてよいのか分からず混乱しているらしい。

「まずは討ち死した者、怪我をして出仕できぬ者の後継者を召し出し、以前と同じ禄を与えることでございます。今日、中川家があるは、彼らのおかげでござろう。

しかるのちに、中川家家臣全員の禄高を倍にいたします。

十石取りは二十石に、百石取りは二百石にいたします」

「そのようなことでは働いた者と、逃げ帰った卑怯者に差ができぬではないか」

秀政がすぐに斬り込んできた。父を失って以来、正義感が強く働くらしい。

「さよう、大岩山で奮戦した者、陣後で家を守った者、卑怯にも逃げ出した者、様々でございます。それを、よくよく聞きとって、働いた者には三倍、五倍にし、逃げたものは据え置くなり、放逐するなり、禄高の調整してまいります。

聞きとる役は宮内さま。貴方様しかおられますまい。

本人の手柄話はほどほどに聞き、他の者の評判を集めるのがよろしいかと存ずる」

「なるほどのう。一律に二倍でも六万石。七万石も残りますな」

「そこでござる。一律分を調整し、加増分に色を付けて七万石に納まるようになさりませ。

残る五万石で、新たに人を増やさなくてはなりますまい。

ここ、茨木から役に立つ者を新規に採用し、さらに、三木で人を集めねばなりませぬ。

三木の前任者は、秀吉様の股肱、前野将衛門様でございます。現地で採用する者どもの禄高が前野様より多くても、少なくてもなりますまい。はたして幾ら掛かりますか…」

「なるほど、簡単な算術だけでは行かぬであろうな。

まずは、そこらの計算の達者な者を探さねばならぬか。うーむ…。

片桐様にご教授願いながらやりたいものでござるが、無理でござろうな」

宮内は腕を組んで考え込んでいる。秀政も、初めての政務、人事に途方に暮れている。

手伝ってやりたい、相談に乗ってやりたいが、次の役割も決まっていない。自分の領地の経営もあるのに、他人の世話を焼いている暇はない。ともかく、今夜一晩語りあかして、手順を伝えてやるしかなかろう。後は宮内の才覚次第だ。


翌日、茨木から馬を駆って宝城に出仕すると、待ちかねていたように秀吉の前に呼び出された。座敷には秀吉、秀長、官兵衛という首脳陣がいる。

せっかちな秀吉が口を開いた。

「助作、そなた官兵衛と共に大阪に行け。

わしはな、大阪に城を建てるぞ。安土をしのぐ城じゃ。

官兵衛の指図に従ってな、そなたには作事奉行を命ずる」

どうやら城の縄張りをするのは黒田官兵衛らしい。官兵衛は笑いながら助作を見ている。

「わしはな、今から紀州を退治に向かう。途中、大阪までは同道せよ」

「ははー。承知いたしました」

来るものは拒まず、去るものは追わず…これが、須賀谷で母のおしげから貰ってきた人生訓なのである。何をすればよいのかわからぬが、やるしかあるまい。

「そうじゃ、弟の加兵衛はいかがした。加兵衛にはな、中川から茨木の城を受け取って、早く任地に入るようにさせよ。その後は、沙汰があるまで茨木の城代に任じる。そのように伝えよ。良いな」

これは有難い。今朝、心残りのままに別れてきた森川宮内の顔を思い出してホッとした。

「承知いたしました。早速申し伝えます」

秀吉の命令が矢継ぎ早だったから、良く座敷内を見ていなかったのだが、秀吉の前には大きな絵図面が拡げられている。城の縄張りが示されているのだろうか。

「助作殿、近こうお寄りなされ。

ほれ、ここが本丸じゃ。ここに安土よりも大きな城が建つ。その周りを囲んで二の丸じゃ。そして三の丸、さらに総構えが取り巻く。……」

官兵衛の扇子の跡をたどれば、東は淀川に接し、西は海にまで広がる。北には堀をうがち、南にも幾重にも堀が続く。

なんともはや、見たこともない大規模な縄張りである。

「助作、そなたはここに屋敷を建てよ。職人、人足をここに集めて総指揮をとれ」

秀吉の指さす先に堀で囲まれた三角形の地域がある。後に、助作の官位を名につけて市(いちの)正(しょう)曲(くる)輪(わ)と呼ばれる場所だ。現代の大阪城では広大な梅林が広がっている本丸脇の一帯である。

しかし、建設当時は、いわゆる飯場(はんば)である。3万とも、5万とも言われる作業員たちを集め、指揮するのが助作の仕事になる。

これは大役だ。俺に出来るであろうか…、思わず身震いをする。

どうやら母の伝(つて)で、穴太の石工たちへの人脈が買われての起用らしい。

   

<大阪城総構え> <本丸図> (参考までに、同一規模の江戸城の総構えを添付しておく

 

             

ともかくも…秀吉は大阪、石山本願寺の跡地に城を築き、そこを本拠として信長の「天下布武」を継承するつもりのようだ。

「助作。わしの家中にな、藤堂高虎というものがおる。おぬしと同じく浅井の旧臣であるが、城普請には熱心な男じゃ。そなたの手伝いに残しておくゆえ、存分に使うがよい」

秀吉の弟、羽柴家のNo2である秀長が、人材提供を申し出てくれた。これはありがたい。

城つくりとはいかがなものか…、助作には皆目見当がつかないのである。

この藤堂高虎が、15年後には江戸城の縄張りをすることになるとは、秀吉も秀長も、官兵衛も、そして、助作にも全く想像など出来なかった。人材が育つ自由で、のびのびとしていた時代なのである。

「ありがたきお心づくし、御礼申し上げます」

助作は只ただ、秀吉の期待に応えようとすることしか、想いが至らなかった。得意の槍を捨てて、ツルハシと鍬の土木仕事である。