城造り…助作にとっては初体験、というよりさっぱり見当のつかぬ仕事である。

大坂の上町台地は広大な面積を持つ焼け野原であった。もともと石山本願寺の大伽藍が甍を連ねていたのだが、信長と講和して紀州に去る際に、何者かが放火して殆どの建物を炎上させてしまったのである。この地に、海外貿易をにらんだ一大拠点を企画していた信長にとっては痛恨事であった。その腹いせもあって、寺域の受け取り責任者であった佐久間親子は高野山に追放されるという処分を受けている。織田家に代々使えてきた家老職をすら処分してしまうほどだから、信長の残念さは計り知れぬ程のものであったことだろう。

秀吉を先頭に、黒田官兵衛、助作、藤堂高虎が丘を登っていった。秀長を大将とする紀州征伐の軍勢は既に和泉方面に向かって先発しているが、秀吉にとって紀州の雑賀孫市などは百姓一揆の程度にしか考えていなかった。

「ここじゃな。本丸を築くのは・・・」

秀吉は台地の最も高い位置に立って、辺りを見渡している。目の前には浪花の海が光り、振り返れば淀川の流れが大蛇の様に曲がりくねって、海に注いでいる。更に、大和川の流れも見渡せる。

「よき場所じゃ。信長公ができなんだことを、このわしがやるのじゃ。

どうじゃ助作、見事な眺めであろう。あの辺り、今は何もない草原じゃが、あの辺りには商人が軒を並べるのじゃ。この大阪の地を日の本一の城下にするのじゃ」

秀吉の頭の中には完成された後の大阪の町並みまでが見えているらしい。が、助作には茫々たる葦原が広がる現実しか見えていない。作事奉行…このような大役が務まるであろうか。

「官兵衛は遅いのう、じゃから輿を使えと申すのに…、頑固者め」

黒田官兵衛は、荒木村重の花隈城で捕虜になっていた間に、右足が利かなくなってしまっていた。杖を突き、びっこをひきながらだから秀吉の歩くスピードにはついてこれない。

えっちら、おっちら、足を引きずりながら登ってくる。その官兵衛が立ち止まって両手を広げている。

「この辺りが本丸の大手門でございますかな」

秀吉の立つ位置から見ると、かなり下のほうである。

「いや、もっと下じゃ。そこでは安土と変わらん広さじゃ、安土の倍はなくてはならぬぞ。

ホレ、あそこの谷が切れ込んでいる辺りまでが本丸じゃわい。

それにな、このままでは城が目立たぬ。城の位置もかさ上げして高くせよ」

助作の脇で、高虎がしきりに頷いている。この男には出来上がる城の姿が見えるらしい。

「本丸は三段になりましょうか、この辺りに天守閣、あの辺りに本丸御殿でございますかな。奥御殿はあの辺りかと」

「ふむ、奥の敷地はたっぷりと用意せよ。ともかくわしは養子が多いゆえな。それにじゃ、城の中に自然を残しておくのも風流じゃ。そこら辺りを助作、しかと縄張りして進めよ」

「はい」と答えはしたが、助作には見当もつかぬ。とはいえ、焼け跡の辺りでは自然が残っていないから、雑木が生い茂る一帯に奥御殿を建てることになるのであろうか。

そのとき助作の頭に電光がひらめいた。

<そうか!秀吉様は、お母上様の野良仕事の出来る場所を用意したいのだ>

「承知いたしました。存分に配慮いたします」

それを見て秀吉が満足そうな笑みを漏らした。官兵衛や高虎には言いにくいことなのであろう。天下の巨城の中に菜園を用意するなどという発想は、非常識に過ぎる。反対されないまでも、顰蹙を買うこと請け合いなのだ。後に、山里丸と呼ばれ、豊臣家の終焉を迎えた場所は、この時点で決められていたのだ。それは、堀をはさんで市正曲輪に隣接する辺りになる。助作が豊臣家の家老として、茶々、秀頼の行く末を見守る役回りになる伏線が、このとき既に敷かれていたのだ。そのことを…秀吉を除く他の者は全く気付いていなかった。大阪築城時点では、羽柴家の城であったのだ。


城の縄張りは官兵衛が陣頭指揮に立つ。官兵衛の脇には高虎がぴったりと付き添い、指示を職人たちに伝えていく。また、職人の頭たちからの報告を受け継ぐのも高虎である。

助作は、これといってすることもないが、資金の管理だけは責任を持たねばならぬ。秀吉は<金に糸目はつけるな>というが、手持ちの資金には限度がある。

助作にとって以外だったのは、工事が飯場作りから始まったことだ。後に助作の屋敷の建つ辺りから整地が始まった。職人用の長屋が軒を連ね、にわかに街が出来上がっていく。その入口に近い場所に、焼け残っていた寺の建物を解体してきたのであろうか、作事奉行所の看板が建った。助作の事務所であり、住居でもあるが、どこか抹香くさいのは仕方あるまい。官兵衛は麓に屋敷を建てているし、高虎も黒田屋敷で寝泊りしているから、この場所は片桐屋敷と言ってもよい。甚兵衛、甚六兄弟を筆頭に助作の家中のものが詰めて、石工、大工の統領たちと工程の打ち合わせをする毎日なのだが、一番の仕事は職人同士の喧嘩の仲裁である。男ばかりが数千人の規模で一箇所に集まっているのだから、喧嘩が起きるのは当然過ぎるほどの当然だ。

「且元様、ここは一つ、法度を作らねばなりますまい。<仲ようやれ>だけでは通用しませんぞ。気の荒いものが多く集まっておりますで、血を見てからでは遅すぎまする」

甚兵衛が渋い面をして助作の元にやってきた。最近は通称の助作と呼ばずに本名の且元で呼びかけてくる。やはり、助作の地位が上がってくると、仲間内の通称では職人たちに示しがつかないようなのだ。

喧嘩の仲裁は甚兵衛の受け持ちだが、あまりの多さに辟易としているらしい。

「法度か。確かに。しかし法度など作れるものが我が家中におるか」

助作の家中の主だった者は、須賀谷以来の遊び仲間である。戦になれば生き生きと働くが、法令などというものとは縁がない。

「おりませぬが…、貞隆様ならできるかもしれませぬ。

甚六を、茨木までひとっ走りさせて参りましょうか」

「そうだな。加兵衛も中川様の面倒ばかり見ているわけには行くまい。段取りがついたら、こちらを手伝うように申し渡してくれ」

数日後、甚六が一人の男を連れて帰ってきた。貞隆が茨木の城代をするために、現地で採用した地元の男だという。

「松野左近宏信にございます。お見知りおきくだされ」

真っ黒に日焼けした顔から白い歯がのぞく。野良仕事で日焼けしているのであろうが、言葉つきは明らかに武士だ。

「そなた中川様の家臣ではないのか。中川様の家臣なら三木に行かねばなるまい。

何故にこのようなところに参ったのじゃ」

助作は単純な疑問を口にした。中川家、森川宮内に迷惑をかけたくない気持ちが口に出た。

左近は背筋を伸ばし、助作の眼を正面から見ながら

「それがしは元・中川家家臣でございましたが、5年前より浪人いたしております。

信長様が本願寺門徒を攻める折に、父がそれに反対して中川家を追われました。それよりは在所にて百姓や、手習いの師範などしておりまする。

こたび、茨木の御城代、片桐様の募集に応じて手を挙げましたが、まだ採用いただいてはおりませぬ。採用前に石山本願寺の跡地に行けとご指示いただきました」

なるほど、そういうことか。助作は一安心した。

「左様か。ならば今回の召し出しの訳は分かっておらぬのか」

「いえ、道々、甚六様から伺っております。お城を建てるにあたって、職人たちを統べる法度作りに智恵を出せ…ということでございましょうか」

「その通りじゃ。ならば話が早い。腹案はあるのか」

松野左内は大きく息を吸い込んだ。

「法度はできるだけ分かりやすく、単純に、数が少ないほど守られまする」

「いかにも。法度を守らせねばならぬのは、寄せ集めの人足たちじゃ」

「三ヶ条ほどあれば十分かと心得ます。まずは、一つ、喧嘩両成敗」

「ふむ、当たり前のことじゃな」

「当たり前を、当たり前だと思い知らせることが肝心でござる。当たり前が崩れるところから法度が崩れてまいります。

喧嘩に正邪はございませぬ。喧嘩すること、そのことが悪であって、正義の喧嘩などはござらぬ。どちらにも言い分があるからこそ、喧嘩が始まりまする」

「確かにその通りじゃ。ならば二つ目は?」

「一つ、先手必敗。 罪の重さは、先に手を出した方が重くいたします。

これまた当たり前のことでございましょう。事情の如何によらず、先に手を出した方が悪いと致しまする。手を出さねば、喧嘩にはならず訴訟で済みまする」

「なるほど、して次は」

「一つ、業績第一。訴訟になれば、仕事のできる方を勝ちといたしまする。

口先で四の五の理屈を並べる者よりも、仕事の結果が大事でございます。それが信長公、秀吉様と続く御家の御法でございましょう」

なるほど。たった三ヶ条で争いごとの最低基準が網羅されているではないか。この程度の法度なら、無学の職人にも理解ができる。後は、実地に、して見せる方が理解し易かろう。

助作は膝をポーンと叩いた。

「よし。それで参ろう。すぐに高札を用意いたせ。

それに、左近とやら、そなた甚兵衛の与力といたす。見事争いごとを裁いてみよ」

早速に高札作りが始まった。大きな板に、大きな文字が墨黒々書かれる。達筆ではないが、左近の字は力強い。「掟」という高札を先頭に「喧嘩両成敗」「先手必敗」「業績第一」と、木戸に4枚の高札…というより、看板が掲げられた。ここならば職人の誰しもが必ず通る場所で目に付く。知らぬとは言わせない。

職人たちが集まってきて、読めない字を見ながら何事かとワイワイガヤガヤやっている。

そこへ、松野左内が梯子を持ってやって来た。木戸に梯子を建てかけ、3段ほど上がる。背のあまり高くない左内にとっては、こうしないと全体が見渡せないのだ。

左近は、助作に説明した内容を、とうとうと演説を始めた。一つ事を表現するのに三通りほど例えを変えながら、誰でもが分かるように、噛んで含めるような演説である。

特に、三条目「業績第一」の説明は懇切丁寧だ。要するに「もっと働け」と言っているのだが、働き者ほど得をするのだと、職人、人足たちを煽っているのである。人を動かすには飴と鞭の使い分けと言われるが、飴でもなく、鞭でもなく、人をその気にさせる弁舌の力、奉行所にいる助作にも、人足たちの熱気が伝わって来た。

「お奉行様、木戸を作り替えた方がよろしゅうござる」

一演説終わった後に、左近が提案してきた。梯子の上から人の流れを見ていて気がついたのだという。

「昼夜兼行の工事でございますゆえ、ここから出ていく者、帰ってくる者で、木戸が混雑いたしてござる。こういうところで、ぶつかった、道具が当たったと喧嘩の素が生まれてはおりますまいか。出口と、入口の二つに分け、流れを一つにした方がよろしゅうござる。

それに、交代の時間にも工夫が要りますな。一時に皆が集中しますゆえの混雑でございます。昼夜二交代ではなく、四組三交代がよろしいかと…」

なるほど、出ていく者と帰ってくる者が集中するから混雑し、喧嘩が始まる。高いところから俯瞰して観れば、そのことが分かるのだ。

助作は早速、梯子を掛けて奉行所の大屋根に登ってみた。松野左近の言うとおりである。あちこちに隘路があって、人の流れが滞っている。

「左近、ついでじゃ。街並みもやり直せ」

これは思いがけない人材が手に入った。左近は法度作りだけでなく、人の行動についての観察眼を持っている。作事も…相談できそうだ。